私事なんですが僕には子供が居ます。
この記事を執筆時点でまだ一歳にも満たないので育児が大変ですがそんな中
「小学生になったときこの子は果たして勉強についていけるだろうか?」
などを考えてしまうわけですね。
僕が小学生の時、何故か勉強がキライでは無かったこと、周りが勉強キライだったこともあり、一時神童と呼ばれていた時期がありました。(今ではひどい有り様ですが)
しかし何故勉強が嫌いじゃなかったのか?を考えたときに"テレビゲーム"の存在が大きかったように思います。
当時はニンテンドー64が出てすぐでして僕が真っ先に遊んだのが『ゼルダの伝説 時のオカリナ』というゲームでした。
謎解き、アクションなどが詰め込まれた今で言うところの神ゲーです。
これが勉強にどう繋がるのかと言えば
謎解きを進めるにあたってある程度の言葉や漢字の意味を理解していないといけないこと
ダンジョンのギミックを理解する為の理論の構築をすること
ボスやダンジョンを突破するにはトライアンドエラーを繰り返すこと
など子供向けのゲームとは言え中々に頭を使わされるソフトが大好きだったことが起因してか"分からないことは勉強すれば良い"という思考になっていきました。
それ故に勉強に対してのアレルギーは周りの友人たちより少なくなったのかなと思います。
さて、前置きが長くなってしまいしまたがここから遊戯王の話をします。
ふと遊戯王で遊んでいると
「こういうの勉強とかに活かせないだろうか?」
と思うことがあるんですよね。
もちろん学校での勉強も重要なのですが、その勉強に対する姿勢やモチベーションをあげるきっかけにできるコンテンツではないだろうか?ということで思いつく範囲で考えてみたいと思います。
ライフやダメージ計算など"算数的要素"
遊戯王において使う計算は少なく、四則計算ができれば大体のことができます。
ライフの計算は引き算が主ですよね。
遊戯王での勝利の多くが相手のライフを削りきること。
ライフ回復をメインギミックにする足し算もありますし、ライフを半分にするカードもあります。
これらのライフの計算などで算数に対する苦手を少しでも無くせそうな気がします。
僕自身もライフ計算で算数を覚えたと言っても過言ではないので使えると思います。
「対象をとって」や「選んで」などの言葉の違いで変わる処理で"国語的要素"
日本語難しいですよね。
そして、コンマイ語も難しい。
ルールを覚えることから始まる遊戯王、複雑難解で遊ぶまでのハードルが
対象にとると選んで、の違いとか最初意味がわからなかったんですが、こういうちょっとした違いでも意味が変わることを理解したり、テキストを読み解く為に漢字やその意味を覚えたりと国語的な要素は多くありそうですね。
自由度は無限大、構築やプレイングを考える"発想力"
遊戯王のカードは一万種類ものカードが存在します。
この中でどのようにデッキを組むかは自由自在。
相性の良いカードを組み合わせていきながら、40枚~60枚のうちに収めて構築していきます。
この中でどのようにデッキを組むかは自由自在。
相性の良いカードを組み合わせていきながら、40枚~60枚のうちに収めて構築していきます。
テーマや種族、属性など構築に頭を悩ませて、初動となるカードは何枚積むのか?相手のデッキに勝つために対策やメタとなるようなカードをどれくらい採用するのか?
”デッキを組む”と一言にいっても非常頭を使うのでこれもまた一つ勉強になりますよね。
また、算数のところにも通ずるのですが、40枚の内に初動札となるカードを何枚採用し、初手にくる確率の計算なんかも勉強が必要になってきます。
”デッキを組む”と一言にいっても非常頭を使うのでこれもまた一つ勉強になりますよね。
また、算数のところにも通ずるのですが、40枚の内に初動札となるカードを何枚採用し、初手にくる確率の計算なんかも勉強が必要になってきます。
世の中は運や相性など見えないことの方が多い"理不尽さ"
遊戯王は細かなルール、テキストを覚えて勝負するゲームですがカードゲームである性質上”運”という要素からは目を背けられません。
先ほど初動札云々と言いましたが、引けなければなりません。
何枚積んでいても手札にこないことがあったりします。
また、対面する相手のデッキとの”相性”も見逃せません。
こちらが墓地で効果を使うテーマなのに相手が墓地を封殺してくるテーマだったりするともう目も当てられない状況になります。
そして、特殊裁定などカードによってテキストは同じでも処理が違うパターンなどもあり「理不尽だなあ」と思うことも。
世の中は基本的に理不尽です。カードゲームでこの理不尽さに対する耐性みたいないのを少しでもつけてくれればなあと思います。
先ほど初動札云々と言いましたが、引けなければなりません。
何枚積んでいても手札にこないことがあったりします。
また、対面する相手のデッキとの”相性”も見逃せません。
こちらが墓地で効果を使うテーマなのに相手が墓地を封殺してくるテーマだったりするともう目も当てられない状況になります。
そして、特殊裁定などカードによってテキストは同じでも処理が違うパターンなどもあり「理不尽だなあ」と思うことも。
世の中は基本的に理不尽です。カードゲームでこの理不尽さに対する耐性みたいないのを少しでもつけてくれればなあと思います。
フェイズ宣言やチェーンの確認、対戦相手を見つける"コミュニケーション能力"
遊戯王は基本的に相手の嫌がることを率先して行い勝利をつかむゲームです。
ですが、あくまでそれはルールに乗っ取り紳士的に行うもの。
カードを組み合わせて相手よりも優位に立つことが目的。
フェイズ宣言、チェーンの確認など相手とのコミュニケーションが必要です。
これが出来ないと誰からも相手されないことになります。
まあその前に対戦相手を見つけるのにもコミュニケーションが必要ですね。
ですが、あくまでそれはルールに乗っ取り紳士的に行うもの。
カードを組み合わせて相手よりも優位に立つことが目的。
フェイズ宣言、チェーンの確認など相手とのコミュニケーションが必要です。
これが出来ないと誰からも相手されないことになります。
まあその前に対戦相手を見つけるのにもコミュニケーションが必要ですね。
遊戯王は教材として使えないだろうか?マジで考えてみる。 まとめ
なんとなく書き出してみたんですが、遊びから得られるものって結構多くあると思うんですよね。
遊びながら覚えることができればきっと勉強へのアレルギーも少なく、また遊戯王のように環境が流動していくコンテンツは例えその瞬間に強くなったとしてもリミットレギュレーションや新規テーマなどで覆されることもしばしばありますので、変化していく重要性も学べるのかなと思いますね。
もう少し子供が大きくなったら遊戯王で遊ばせてみようと思います。英才教育ですねw
もう少し子供が大きくなったら遊戯王で遊ばせてみようと思います。英才教育ですねw